読書録:内向的な人のためのスタンフォード流ピンポイント人脈術

本日は、予定がない週末ということもあり読書デー♡本日2冊目の本は、ハフポスト日本版編集長を務める竹下隆一郎さんが書いた「内向的な人のためのスタンフォード流ピンポイント人脈術」という本。

少し前に、人には内向型人間と外向型人間の2つの人がいるということをネットの記事か何かを通じてしりました。もちろん、スパッと2分できるものではなく、1人の人の中にも両方の側面があることがほとんどらしいです。が、どちらの傾向が強いか、によって、内向型か外向型に分けられるとのこと。

ちなみに、その時に自分は内向型人間なんじゃないかということに気づき、以降Twitterで内向型のタイプの人をフォローしてみたり、内向型に関する本を図書館で借りてみたりして、情報収集をしていたところ、この本に出会い図書館で予約。

ちなみに、一般的に売れる本や棚の上の方に並ぶような本は、外向型の人が書いた本が多いようです。なので、内向型の人が参考にすると結構つらいらしいです。

私も、4人以上人が集まる場が極度にニガテ(空気読みすぎて自分が話すタイミングを逃したりするし、話の展開が早すぎてついていけないことも多々あり)。人付き合いは断然1対1派。交流会や名刺交換会、セミナーなどに行くと決まって疲れてヘロヘロになる。読書でも十分学びがある。

などなど、思い当たる節がたくさんありました。

もちろん、読書だけしていればいいってもんでもないのはその通り。実際にいろんな場所に足を運んでいろんな体験をすることが重要なのは重々承知です。けど、頻度を調整するなどして、自分ひとりの時間を持つことが大切。疲れている時は、無理にいかない。など、マイルールを持つことが大切だなと実感します。

と、自分の話ばかりになってしまいましたが、著者の竹下隆一郎さんは、実は内向型人間だそうです。

一メディアの編集長たる人が、社交性が薄く内向型人間であることを暴露するなんてとんでもない、という考えもあるかもしれませんが(と本にも書いていました)が、内向型人間でも編集長になれる。つまり、内向型人間でも編集の仕事で活躍できるんだ、と勇気をもらいました。

この本では、現代の人脈構築について考えるにあたって重要な大きな4つの潮流を紹介(1章)し、そんな時代の中で、内向型人間が人脈を構築するのに有利な条件がそろっていることに触れている。

そのうえで、内向型人間が、つながりたいと思った人とピンポイントでつながるための7つの人脈術を紹介(2章)し、こうしたピンポイントで人脈を作るメリットに触れ(3章)、どのようにしてその人脈をチームにしていくか(4章)を説明しています。

様々な箇所でロジックが甘かったり、論理的に飛躍しているなと感じた部分もあり、納得が難しかったり、「これってどういうシーンで使えばいいのか」といった理解が浅い部分もありますが、この本から学んだことを紹介します。

・今や、TwitterFacebookなどを駆使すれば、面白いなと思う人、興味がある人と直接つながれる時代。ピンポイントで人脈を作るためには、相手の名刺や肩書ではなく「好き」「居心地が良い」といった直感を大切にすることが大切。まずは「7人の好きな人」を作ってみる、書き出してみる

・「Yes」「No」をはっきり言う人と付き合う。逆に「Yes、But」という立場に対してあいまいなポジションをとる人とはなるべく付き合わない

・企業名や肩書、役職を取っ払って、イチ個人としてつながる

→そのためにも、出会った人とは以下の3つの視点で会話をする
①仕事、研究テーマ→ただし、企業名ではなく、『今何に対して情熱を傾けているのか』という観点で自分なりの答えを用意しておく
ex)✖朝日新聞社 〇閉鎖的な日本で、人々が自由に表現や発言できる社会を作る

②食べ物について(レストラン、好きな食べ物)

③自分が相手に聞きたいこと→今の興味関心(本、映画、事柄…)、ビジョン、今注目している企業や分野など

・親しい友人でもいいから、30分数千円程度でビジネスコーチになってもらい、今抱えている課題に意見をもらう

なかでも私にとって目からうろこだったのが

・抽象的な話で会話と志向の幅を広げる

というものです。

私は、物事は具体的であればあるほどいいと思っていたのですが、「具体的なもの」は、同時に「多様性を損なう」側面もあることに気がつきました。

また具体的な言葉を使っても、その言葉からイメージされる光景や条件は、おかれた環境や違う常識を持つ社会では通じません。

例えば、「電車の中でスマホで情報収集する」といったときに、超満員電車をイメージするのか、のどかな田園風景を見ながらぼーっと過ごす電車をイメージするのかでも違います。

何かを議論するときは、ある程度普遍性のある言葉や、抽象的なテーマで話をし、少しでも違った意見を取り入れたり、思考の幅を広めることがとても大切だそうです。

この視点は私にはなかったので、目からうろこでした。

本にも書いていましたが、普遍性のある言葉、キーワードで面白いなと思うものを見つけたらメモに残すなど、意識を向ける必要がありそうです。

また、著者も本の中で触れていたのですが「好きかどうか、居心地が良いかどうかで人脈を深めていくかどうかを判断する」のは大切ですが、時期や期間を決めて大勢の人に会う「人脈爆発期」を持つことも大切だそう。

これには私も激しく同意です。ときにはコンフォートゾーンを抜け出して、居心地が悪いこと、負荷がかかることにも取り組まないと、視野や幅は広がりません。ただ、自分の調子がいいときに設定すること、期間を決めて挑戦することで、ハードルを下げるのは大切だと思いました。

本の最後には、やっぱり一人で何かを形にするのは限界がある。だからこそ、ピンポイントの人脈で組織やチームを作ることの重要性にも触れています。そして、そのチームを作る際に重要なのが、「自分」と「自分の周りの好きな人」にどのような強みやスキルがあるか、まとめるというのも重要だなと思いました。

自分の名前や好きな人の名前を書き、その人の周りに大きめの「〇(マル)」を3つほど書く。そしてそのマルの中に、その人の得意分野を「○○力」の形で書く。例えば、「文章力」「企画力」「英語力」といったように…。

それをまとめることで、このメンバーでどんなことができそうか、客観的に見ることもできる。そしてそれがプロジェクト化、事業化へとつながっていくのだそうです。

これは、私も実践してみたいと思いました。

 

この本には、難しい理論ではなく、誰でもちょっと意識することでできそうな、具体的な手法が中心に書かれていて、実践のハードルが少し低そうです(といっても、これを意識的にやるのがまた難しいのですが…)

まとめると、

・自分は不特定多数の人と交流するような場は苦手、特定の人と深い付き合いをするのが好きな内向型人間だと感じる人は、自分の「好き」「この人といると居心地が良い」という感覚を大切にして、そういう人との人脈を深めていきましょう。苦手な人、以後心地の悪い人と無理に一緒にいなくても大丈夫。

・感性や直感を研ぎ澄ますためにも、自分と向き合い、自分自身と対話し、思考を深めていくことが大切。そして、なぜ好きなのか、居心地がいい人ってどんな人や状況なのか、を把握して言語化していくことも大事!

・そして、自分自身の考えていることやできることをどんどん発信していきましょう!(これ、結構重要ですね。)
→私も、TwitterやNoteで自分を発信していかねば、改めてそういう風に思いました。

これは2020年の私のテーマの一つにしたいと思います。

自分は内向的だけど外向性が求められる仕事をしている。どうやって人脈を広げていけばいいのか悩んでいるという人におすすめです!

 

読書録:武器になる哲学

久しぶりの読書録です。

今日読み終わったのは、山口周さんの武器になる哲学。

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著者がおすすめするビジネスパーソンが知っておきたい哲学を、「哲学史」の切り口ではなく、「人」「組織」「社会」「思考」の4つの切り口から紹介している本。

先日このブログでも紹介した史上最強の哲学入門を読んで哲学に興味を持ったところだったので楽しみにしながら読みました。

読み終えての感想

・ある程度哲学の基本というか基礎が頭に入っている人が読んだら、深い学びを得られるかも。

・あるいは、さっと流し読みをして興味を持った哲学者の本を深く読んでいく

といった読み方がおすすめかなと思います。1人の哲学者、思想家が説いた1つのキーワードについて、4-6ページ程度で簡単にまとまっているのですが、内容が浅いので1人ひとりの考え方や思想を深く学ぶのはちょっと厳しかったです。

ただ巻末に、著者がおすすめの哲学書50冊が載っているので、これは参考になりそう。私も気になったものは図書館で予約して借りてみようと思いました。

ちなみに私の場合、東洋哲学は先日紹介した本で学びが深まったのですが、西洋哲学は全く分からず…。

そういう意味でも、時間をかけて西洋哲学をしっかり読もうと思いました。先日本屋で見つけた「哲学と宗教全史」かなり分厚いですが、購入して年末年始で読んでみようかな。

全般的な感想になりますが、本を読んで印象に残っていたことばは「哲学は、哲学者が提唱した『結果』をみるのではなく、その時の時代背景やその人が置かれた状況から、どのような論を唱えたかの『プロセス』を見ることが大切」というもの。

戦乱が絶えない時代に生まれた人が、人や組織の本質を「闘争すること」を前提とした論を展開していたり、今となっては当たり前のことを、その当時の時代背景に照らし合わせて紹介していたり、そこから学ぶこともたくさんありました。

そんな中で、様々な人が様々な論を展開する中で、哲学に限らずですが、世の中に「絶対的な正しさはない」ことを改めて実感しました。

そういう前提を自分の中にいつでも持ち、相手が何か主張したときに、自分の考えや価値観と違っていても頭ごなしに否定するのではなく「なんでそう考えるに至ったのか」「その人が置かれている状況や文脈は何か」を考えたり想像してみたり聞いてみたり…。そうすることで、視野が広がるし、相手への理解も深まるんだなと思いました。

個人的に、哲学的な知識はあまり見につかなかったですが(笑)人間として大切な学びを得られたのでよかったです。

後は、年末年始に向けて、哲学への理解を深めていきたいと思います。

前より少しだけ自分を俯瞰して見れるようになった話

以前の私は、何につけても視野が狭く、イライラしたり不安を感じていて、そんな自分の感情にどっぷりつかり、その沼にはまったまま抜け出せない。そんな状況だった。

けど、最近の私は前よりも少しだけ変わった気がする。相変わらずイライラもするし不安も感じる。だけれども、ちょっともやもやしたときに、そんな自分を客観的にみられるようになった気がする。

なんでそう感じているのか、鳥の目のように、監視カメラのように、客観的に自分を見ることができる。

そんな2人目の自分の存在を置くことで、少しだけ楽に生きれるようになった気がする。

それができるようになったのかというと、主な要因は2つある。

1つは、かれこれ私が東京に来た時からずっとお世話になっているとある人の存在がある。もう付き合いも5年目。私のことを誰よりもよく知り(もう自分の親以上に私のことを知っているんじゃないかと思うぐらい)、アドバイスをくれ、私がどんな感情的になっても、八つ当たりしたとしても、叱ってはくれるものの、受け入れてくれる人の存在。

その人との様々なやり取りを通じて、つい最近になって始めた「褒め褒め日記」。カレーが自分な好きすごい、そんな根拠のないものでもいいから、ひたすら自分をほめるというもの。

これを実践して2週間以上が経過したけれども、1週間たったころから少しずつ自分が変わってきたことを感じ始めた。

元来ネガティブでマイナス思考な私。そんな自分が変わったとは思わないけれども、でもそんな自分を受け入れられるようになったとでも言おうか。

そうすると、以前より必死さがなくなり、少しだけ心に余裕ができた、そんな感覚がある。

2つ目は、大切に思っている人へ、ことあるごとに手紙を書いていることかもしれない。

その人は今理由があって家にいないのだけれども、何か思ったことがあれば便せんに思いの丈を書いて、家に手紙を送る。そちらも、かれこれ2週間ほど続いているのではなかろうか。

その人の郵便受けは、私からの手紙がどんどん増えていってるに違いない(笑)

極端な話、その人が読もうと読まなくてもどっちでもいい。ただ、自分が思っていることを書いている、ただそれだけ。多分同じことも何度も書いている。

けど、そうやって自分の思いを吐き出し、それを大切な人に届ける。その行為に救われている。

 

きっとこの2つは良い習慣に違いないから、これからも続けていこう。

そんなことを思った今日この頃なのです。

映画録:新聞記者

12/1は映画デーということで、ちゃっかりもう一本見てきました。

2本目は、半年ほど前に話題になった新聞記者。

たまたま新宿ピカデリーで上映しているのを知り、前から気にはなっていたので見てきました。

自分は今編集の仕事をしているのですが、ゆくゆくはジャーナリズムの道に進みたいという気持ちもあるので、その点でも参考になるかなと。

政府が秘密裏に進めるプロジェクトの真相を暴こうとする女性記者吉岡と、国民のためにという信念を持って働くエリート官僚を主役に物語が進んでいく。

ストーリーは、本編にお任せするとして、私が感じたことをまとめていきます。

まず一つ目に俳優の人選について。

ネットを見ていても、今回の女性記者の人選が悪かった。演技派女優を起用してほしかったが、政府に挑むストーリーであるだけに人選が難しかったこともあり、やむなく韓国女優を起用したのでは。でも男性記者にすればよかったのではという意見があった。

ただ、今回の設定では、女性記者吉岡は、同じくジャーナリストの父親を記事の誤報による自殺でなくしている。彼女は、父親の意志を受け継いでいるに違いないし、誤報を恐れたり、そのことで自分の立場が追いやられること以上に、真実を突き止めたいという揺るがない信念がはっきりと見て取れる。

やはりここまで振り切れるのは、日本以外のバックグラウンドを持っている方が説得力が増すのではないか、また背負うものがない女性だからこそ出来ることなのではないか、と考えると、日本語の不自然さを差し引いても、今回の設定で良かったのではないかと思う。

もちろん、ネイティブレベルの日本語話せる人を起用するに越したことはないが、まあ大人の事情もあると割り切ろう。笑

一方で、エリート官僚の杉原は、国民のためにという信念を持つ側面、お世話になった亡き上司神崎の想いを受け継がたいという側面、そして子供が生まれたばかりで、家族を養っていかねばという責任感の間で揺らいでいる。

それが、最後上司からの脅しともいえる提案を聞いた後に、険しい表情や、吉岡に対してつぶやいた、「ごめん」の一言に現れている。

これは、日本的にいうと男性だからこそ納得感があり表現できるのではないか。

そして、吉岡という女性記者との対比が二人を際立たせているのかなという気がした。

もう一つ。これは、いろんな意味でやはり日本映画には男女間の関係性に関してしっかりと日本の価値観が組み込まれていることを実感しました。

このことを感じされた二つのシーンがあります。

一つ目のシーンは、杉原が生まれたばかりの子供を抱きながら、ごめんねと謝りながら涙を流すシーン。この涙は、妻が、パパは忙しいけど国のために働いているからね、と生まれたばかりの子供に対して話しかけるのだが、実際の杉原は、政府を守るため、不都合なことを免れるための仕事をしている。そのギャップや違和感を感じながらも見ぬ振りして仕事をしている。それに比べて、汚れのない赤ちゃんを前に、不甲斐ない気持ちになって流した涙だ(と思う)。それに対して、妻は出産に立ち合えなかったことなら気にしないで、と声をかける。それでも涙を流して謝り続ける杉原を抱きしめて、大丈夫だよ、大丈夫だよ、と声をかける。

二つ目のシーンは、女性記者の吉岡が、自殺した神崎の家を訪ねた時のこと。真実を探りにきたことを知った神崎の妻は吉岡を家にあげ話をして聞く。そして、真相を暴く証拠は、神崎の書斎にある鍵のかかった机にあるのでは、と思い、吉岡に鍵を渡す。

その時に、きっと家族には知られたくないだろうから、といって鍵を渡した神崎の妻はそそくさと部屋を出てしまうのだ。

この二つのシーンに込められているのは、日本では妻は夫の仕事とはかけ離れた世界にいるのだということ。

杉原の妻も、きっと泣き続ける杉原に対し、きっと何か仕事であったんだろうと察しはついたに違いない。けどそれ以上詮索することなく、大丈夫だよ、と声をかけ続けた。

神崎の妻も、仕事のこと、気がかりだったものの首を突っ込むことなくここまできたという話しがあった。

それがいいかどうかは別問題だけど、あまり詮索しない、詳しい事は聞かない。だけど信じる。

それが日本人の妻なのかなぁという気がしました。

本編とは全く関係ない上に、その良し悪しを判断するものではないのですが、気づきを得たのでここに記しておきます。

 

この映画について、また誰かと語りたい!

そんなことを思った映画デーなのでした。

 

 

映画録:テルアビブ・オン・ファイヤー

今日は、12/1映画デー🎶最近のテーマが教養を身につける。ということで映画を見てきました。

教養がテーマなので、完全娯楽というよりも少し学びがあるようなものがいいということで選んだ一本目は、パレスタな系イスラエル人🇮🇱監督作の、テルアビブ・オン・ファイヤー。

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パレスチナイスラエルで起こっている情勢を、テレビ関連の仕事で毎日行き来する主人公と、検問所で働く軍人などを通じてコミカルに表現した物語。

政治情勢に詳しくなくても楽しめます。

主人公が、昔の恋人のことが忘れられず、テレビを通じて愛する人にメッセージを伝えたり、彼女から教わったことをテレビの脚本に組み込んだり、なんだかやることが可愛くて思わずクスッと笑ってしまいます。

 

ただ、とにかくストーリーは現実離れしすぎてます。笑

主人公は軍人の力を借りて脚本を作っていくのですが、その結末についてもめることに。軍人は、自分の望み通りの結末にならないことに逆上して、主人公を拉致しIDを奪います。

そして、提案通りの結末にしない限りIDを返さないと脅します。

そんな状況の中で、主人公はどんな手段を取るのか。

その結末もまったくもって筋違いでありえない笑。

でも、明らかに有り得ないことばかりだからこそ、シリアスなテーマの映画が世の中に取り上げられ、現実世界と切り離された場として楽しめるのではないか。

むしろそれが狙いなのではないかと思いました。

最後に、映画の中で軍人が主人公に放った一言が私の胸に刺さりました。

「愛とは、相手の話を聞くこと」

この言葉は、映画の脚本を考える中で軍人が主人公に伝えたことなのですが、最後、軍人が考えた映画のシナリオ交渉に挑む主人公が軍人に投げかけた言葉でも有ります。

そして、まったく違った切り口で三宝よしの大笑いの結末を迎えます。

愛とは相手の話を聞くこと。この言葉は本質をついている。今回の映画は、映画脚本家と軍人、テレビドラマというミクロレベルで相手の声を聞いて実現した結末ですが、これが政治、国というマクロレベルでも実現すれば、きっと世界平和が訪れるのではないかと思います。

 

この映画の上映中は、常に笑い声が絶えず(といえば大袈裟ですが、映画館に何度も笑い声が響きましたw)、この笑いが波及すれば世界平和は実現するのかもしれません。監督の想いはそこにあったのかもしれないですね。

 

 

読書録:史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち

私のお気に入りの読書会で紹介されていた本。哲学をわかりやすく解説してくれていそうだったので、読んでみました。

一言でいうと、「面白くて、分かりやすい!」

著者は飲茶さん。

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哲学には大きく分けて西洋哲学と東洋哲学があるようなのですが、西洋哲学と東洋哲学は、いでたちが全く違うそうです。

西洋哲学は、知識をベースに体系的に説明しているもの。そして先人が築き上げた哲学に対して、階段を上るように発展させていったもの。

それに対して東洋哲学は、優秀な人が「私は悟った」という。ただしこれは抽象的で理解に苦しむケースもある。それを後世の人たちが「○○さんが唱えた○○という教えをわかりやすく説明すると…」という風に解釈を解説するという形で発展していっているそうです。

いずれにせよ、哲学を学ぼうと思えば、「哲学史」を学ぶことで理解が進むそうです。

出なければ、いきなりとある人の哲学を勉強しても、全12話のドラマの8話から見るようなもの。

1~7話を知らずに8話を見ても理解できないのと同じ。というのはとても分かりやすい解説でした。

今回の本は3章に分かれていて、1章インド、2章中国、3章日本。

1章では、インドで生まれたインド哲学を、それを提供した3人の人とともに解説。この思想がとにかく難しいのですが、わかりやすく一言でいうと「この世の中で見ているものはすべて、「自分の解釈」によって見ているに過ぎない。元をたどると何もない。無。そのことに気づく=悟りを開くことで執着がなくなるよというもの。

※正しく解説できているかはわかりません><解釈違っていたらごめんなさい。

とにかくこの思想が難しいので、とにかくいろんなたとえ話を使ってわかりやすく説明してくれているので、なんとなく理解できるのではないでしょうか。ただ、うまく説明ができないということは、私自身の理解も甘いのかもしれませんね…。

第二章では、中国の思想家について説明。なお初めに中国で生まれた思想「儒教」は、インドの思想とは真逆だそうです。

孔子が唱えた「仁」と「礼」を大切にしようという考えなのですが、その後仁と礼をそれぞれ「孟子」と「荀子」が発展させていきます。また、孔子の思想を否定する形の墨家という考え方が、墨子によって提唱されます。

その後長い時を経て、インド仏教の考え方が広がっていく。「老子」はその仏教の考え方を聞いて、まさに自分が考えていた思想とはこれだと気づき、インドで修行して中国に持ち込んだ。それを秦の国の王が聞きつけ、自分の国の考えに取り入れ、普及していくとのこと。

そして、中国で広がった仏教は、聖徳太子の力によって日本でも普及し、日本に合う形で広がっていったのだそうです。

本を読んで感じたのは、中国では、こういった思想は国の王など権力者の間で取り入れられた話が中心だったのですが、日本ではどのようにしてその考え方が民衆に取り入れられていったのか、を歴史に沿って解説しているところが面白い。中国でも同様に民衆にも広がっていったのだとしたら、どのようにして広がっていったのかは気になるところです。が、そこまでは本に書かれていませんでした><

 

私が本を読んで得た学びは

・自分が見ているもの、感じているすべては、自分の解釈によって生じたもの。自分の身に起こっていることは、自然発生的に起こっている。コントロールできないのだよ。だから、そういった感情に執着したり、一喜一憂することなく、生きていくことが大切。

→これに近い考えとして、自分を客観視することなのかなと思いました。特に、つらい悲しい苦しい怒りといった一見するとネガティブな感情。これらを感じ切った後で「あー自分今こういう風委感じているんだ」と自分の感情を外から俯瞰してみること。

これが、現代風の「悟り」なんだなという風に思いました。

・東洋哲学にある「知識よりも実体験」というもの。現代においては「知識」を身に着けることも大切だし、「体験」することも大切だと思う。両方大切。

ただ、自分に置き換えてみたときに、自分自身は「体験」をしないと、自分のものにならないという感覚は強い。だけれども、体験することが怖くて、ついつい知識ばかり詰め込んでしまいがち。だから、恐れることなく体験しようって思った。

知識をつけることに陥りがちだという癖を理解して、「体験する」ことに意識を向けよう。

あの人

とある人に会いに長野ボランティア活動に参加した。

スケジュールがかつかつだったので、日帰りの弾丸スケジュールだった。

ボランティアに行ったというより、人に会いに行ったようなものだ。

それをわかってくれたのか、その彼は柳原のボランティアセンターまで車で迎えに来てくれた。会えたし、少しだけだけど話ができた。

ボランティア先も、やりがいのある場所を調整してくれた。

迎えに来てくれて、他の団体に交じって作業できるよう工面してくれて。特別対応をしてくれた。

 

仕事をしているその人の姿を初めて見た。

私と会っている時とは全く違う感じだったけど、あーこの人はこういう感じなんだ、と仕事の時の様子もわかった。

「私のことをあんまり仕事に入れたくない」そういう風に言っていた例の彼の言葉が妙に納得できた。

あ、私はあまり入り込みすぎて、邪魔はしない方がいいんだろうなって思った。

けどそれでも、きっと私がずっと心のどこかで欲していた「彼が仕事してる姿」を垣間見ることができたのはよかった。

 

仕事をしている彼は格好良かった。長らく災害ボランティアに携わり、散髪にも行けず髪が伸び放題でも、やっていることが交通整理でも、それでもカッコよかったし、改めて魅力的な人だなと、惚れ直した。

その気持ちを素直に手紙に書いてみた。長々書くのもあれだなと思い、原稿1枚にまとめた。

かわいい封筒がなかったので、縦長の茶封筒に入れた(笑)

今朝郵便局に出したから、明日か明後日には届くだろう。

彼はいつ読むのかな。わからないけれども、きっと手紙を読んだら何か連絡があるだろう。

何も言わずにそれを待ってみよう。

これからも時々手紙送ってみようかな。

返事はいらないよという意味を込めて、住所なしで。