意志力(Grit)とはどういうことか。
昨日、Facebookを見ていて、たまたま目に留まった記事。
なんとなく読んだら勉強になるんじゃないかと思い、メモしておいた記事。
神戸に帰る新幹線の中で、今その記事を読んでいます。
タイトルは、『義務的に仕事しているあなたには「○○力」がない』
そういえば、私はよく「義務感で仕事しているよね」
「もっと楽しみながらやればいいのに」
といわれる。
それってどういうことか、よくわかっていなかったのだ。
そんな中で出会った『義務感』という言葉についつい反応したのだ
ちなみに、○○力の○○に入ることば、それは「意志力」
ブログによると
>意志力(Grit)――。
> これは「自分がなりたいもの」や「自分がやりたい仕事」ではなく、「自分が>どうありたいか?」「自分がどういう価値観の下で自身のキャリアを形成するか>?」といった仕事上の、いや人生上の価値観や信念のこと。
それを見てはっとする。
確かに私は、「なりたいもの」「やりたい仕事」については、考えていた。
けれども、自分が「どうありたいか?」「自分がどういう価値観の元で自身のキャリアを形成するか」といった、人生上の価値観や信念について、考えられていただろうか。
自分の人生の信念は「やり切る」「納得いくまで続ける」であった。
これを、仕事でも体現できているだろうか。
そんな問いかけに、胸を張ってYESといえない自分がいる。
それ以外にも、きっと仕事をする上で譲れない考え方、価値観、自分の軸となる言葉がきっとあるはず。
迷ったとき、困ったとき、どうすればいいのか分からなくなった時に、立ち返ることができる本質的なことば。
それを見つけていく、そしてそれを実行に移す、それが大切なことなのかもしれない。
一歩踏み出してみるってどういうことかな。
今ここで、隣にいるフランス人の2人に話しかけることなのかな?
新大阪到着は、21時13分。それまでに勇気をもって話しかけられるかな。
「手放す」こと
私はずっと自分を変えたいと思ってきた。
だけれども、変わることができていない今。
そんな中で、気になった一つのことば。
その3)
自分を変える一番手っ取り早い方法は、「捨てる」こと。とにかく今までの自分を象徴するものを捨てる。服とか靴とか、本とか。捨てた分だけ新しいものが入ってくる。
— ひらめきメモ (@shh7) 2016年12月15日
私を象徴するものって何だろう。
服とか靴とか本とか、もっともっと捨てたら新しい風が入ってくるかな。
・靴を捨てよう。
・服を捨てよう。
・鞄を捨てよう。
とにかく、今年の年末は大掃除をしてたくさん物を捨てよう。
そう心に決めた今日この頃。
カレンダーに『大掃除』を書き込んだ。
物を手放すのは、大掃除をするのは、あえて「クリスマスイブ」がいいかもしれない。笑
なーんてwww
人の振り見て我がふり直せとはこのことか。
今日私が住んでいるシェアハウスに帰ってきたときのこと。
もうすぐ今のシェアハウスを出ていく住人さんとオーナー奥さんが話していた。
はっきりとは聞こえなかったけれども、どうやら隣の住人さんが、新しい住まいも見つけて契約して、今の家を出るという解約をしたにもかかわらず、やっぱり取り消ししたい(つまり住み続けたい)ということだそうだ。
実は、その現在の住人さんは、結構こだわりが強い人らしく、シェアハウスのルールを変えたいと思って何度か交渉したみたいだ。
なんでも、自分の物を家の中のいたるところにおきたいのだとか。
例えば、自分専用のグラスを共有スペースに置きたいとか、そういうものだ。
これについては、住人がみなそれをやりだすと、収拾がつかなくなるし、モノも増えていくから、ルールを決めて、私物を置く場所も決めている。
食材を置く場所もあるし、洗面用具を置く場所もあるし、最低限必要なものはすべて置ける。
そのルールが納得いかないらしい。
それを聞いて、この家の運営をするオーナーに従うべきだし、理不尽な話でもない。
だから、郷に入っては郷にしたがえ、というのが大切な考えだ。それが納得できないのであれば自分のやりたいようにやるべきだし、ここに住む以上は従うべきだとおもう。
ただ、それを思ったときにふと気が付いた。
今の私の仕事に対する姿勢ってどうなんだろう。
郷に入っては郷に従え、の気持ちで取り組めているだろうか。
なんか、ふんぞり返っている裸の王様状態じゃないか。
小売の支援をしているのだから、それに従って小売りの勉強をするべきだ。
小売りの気持ちになって取り組むべきだ。
できることできないこと、もちろん両方ある。
けれどもできることをちゃんとやっているのだろうか。
そんなことを思った。
もちろん、理不尽な内容、どうしても納得いかないものは、徹底的に議論は必要かもしれない。
だけれども、納得したものであれば、それは受け入れるべきだし、多少気に食わないことがあっても、郷に入っては郷に従えなのだ。
自分の言ってることができているかと言われれば、まったくできていない。
身を引き締めて、ふんぞり返った王様にならないように、日々謙虚に生きていきたい。
12/15の良かったこと
こないだ会社の人が教えてくれたこと。
1日が終わるときに、今日の良かったことを振り返れば、結構今日も悪くなかったんじゃないかと思えるって。
そういう風に言われたもののやってなかったので、カテゴリ作って始めてみます。
今日はどんな日だったかな。。。。
朝起きてすぐから楊さん(シェアハウスの住人)といろいろトークできて
オフィス前で和田さんからセミナーに関する良い感想もらえて
マイスターの井上さんからも笑顔で受け答えしてもらって
KADOKAWAさんとも名刺交換で来て(セミナー講師はちょっと微妙そうだけど)
(データの)吉田さんにも話しかけることができて(話した内容は微妙だったけれども笑)
Squareさんには取材を快諾してもらって
新津さんからも、私の視野の狭さを指摘してもらって(きっとなおせば、良いパネルディスカッションのシナリオが描けると信じて!笑)
電話した帝国ホテルの方も非常に優しくて
自分手作りのおいしいごはんも食べられて
Twitterのひらめきメモから、ありがたいお言葉も頂けて
ブログで思いを発散できて
あー今日もよい一日だったな!!!
自分の気分を左右するもの
今日落ち込んだ気分で帰ってきた私に取っては、非常にありがたいメッセージだ。
その2)
今の自分の「幸福度」に、一番関係しているパラメーターを特定しておくべし。「誰かの機嫌」「収入」「誰かからの評価」「朝起きた時間」「テストの点数」「勉強時間」色々ある中で、実際に自分の幸福度に関わっているのはたいてい、ひとつだけ。そのひとつを、見極めておくとすごく楽。
— ひらめきメモ (@shh7) 2016年12月15日
今の私には、「誰かからの評価」なのかな。
あるいは「悪い自分、変わりたいと思っているのに変われていない自分を指摘されたとき」なのかな。
もうすこし、自分の気分が落ち込んだ時を検証してみる必要がありそう。
そういえば、こないだのサークル飲み会でも気分が落ち込んだな。
あれはなんでだったんだろう。
ちょっと考えてみる。
面白い話ができなかった自分
周りの人を笑わせたり楽しませることができなかった自分
要するに、ベクトルはすべて「自分」
これが一番よくないところなんだと思う。
自分の良くないところを見た時が一番幸福度が落ちるところで、自分の良い面が見れたり、認識できた時が一番幸せなんだろう。
この部分の考え方をもっと変えたいな。
あ~彼氏ほしいな。
そこで
「相手の幸せは私の幸せ」
「相手が悲しかったら私も悲しい」
そういう、外向きの考え方身に着けたいな。
大事なのは、「見つける」ではなくて「育てる」
今日はいろいろあって気分が落ち込み気味。
でも、そんな私を元気づけてくれる言葉たちを、備忘録の気持ちを込めて書いてみます。
その1)
やりたいこととか好きなことって、見つけるものじゃなくて育てるものなんだってようやく気づいた。小さな小さな「好きかも」という気持ち、感覚を、ちょっとずつちょっとずつ集めて、毎日ちょっとずつ水をあげているうちに、だんだんと大きく育っていくもの。
— F太 (@fta7) 2016年12月12日
自分にはこれは違う、あれは違う、と決めつけるのではなくて、信じて頑張ってみる。
そんなことが今の私には必要なのかもしれない。
転職して1年半、そろそろ変化できないとつらい時期だよね。
いつまでここに入れるかわからないし。
インバウンドという事業で、小売りという事業で、覚悟を決めてやっていくことが大切だよね。
大切な気づきをありがとう。