映画録:新聞記者

12/1は映画デーということで、ちゃっかりもう一本見てきました。

2本目は、半年ほど前に話題になった新聞記者。

たまたま新宿ピカデリーで上映しているのを知り、前から気にはなっていたので見てきました。

自分は今編集の仕事をしているのですが、ゆくゆくはジャーナリズムの道に進みたいという気持ちもあるので、その点でも参考になるかなと。

政府が秘密裏に進めるプロジェクトの真相を暴こうとする女性記者吉岡と、国民のためにという信念を持って働くエリート官僚を主役に物語が進んでいく。

ストーリーは、本編にお任せするとして、私が感じたことをまとめていきます。

まず一つ目に俳優の人選について。

ネットを見ていても、今回の女性記者の人選が悪かった。演技派女優を起用してほしかったが、政府に挑むストーリーであるだけに人選が難しかったこともあり、やむなく韓国女優を起用したのでは。でも男性記者にすればよかったのではという意見があった。

ただ、今回の設定では、女性記者吉岡は、同じくジャーナリストの父親を記事の誤報による自殺でなくしている。彼女は、父親の意志を受け継いでいるに違いないし、誤報を恐れたり、そのことで自分の立場が追いやられること以上に、真実を突き止めたいという揺るがない信念がはっきりと見て取れる。

やはりここまで振り切れるのは、日本以外のバックグラウンドを持っている方が説得力が増すのではないか、また背負うものがない女性だからこそ出来ることなのではないか、と考えると、日本語の不自然さを差し引いても、今回の設定で良かったのではないかと思う。

もちろん、ネイティブレベルの日本語話せる人を起用するに越したことはないが、まあ大人の事情もあると割り切ろう。笑

一方で、エリート官僚の杉原は、国民のためにという信念を持つ側面、お世話になった亡き上司神崎の想いを受け継がたいという側面、そして子供が生まれたばかりで、家族を養っていかねばという責任感の間で揺らいでいる。

それが、最後上司からの脅しともいえる提案を聞いた後に、険しい表情や、吉岡に対してつぶやいた、「ごめん」の一言に現れている。

これは、日本的にいうと男性だからこそ納得感があり表現できるのではないか。

そして、吉岡という女性記者との対比が二人を際立たせているのかなという気がした。

もう一つ。これは、いろんな意味でやはり日本映画には男女間の関係性に関してしっかりと日本の価値観が組み込まれていることを実感しました。

このことを感じされた二つのシーンがあります。

一つ目のシーンは、杉原が生まれたばかりの子供を抱きながら、ごめんねと謝りながら涙を流すシーン。この涙は、妻が、パパは忙しいけど国のために働いているからね、と生まれたばかりの子供に対して話しかけるのだが、実際の杉原は、政府を守るため、不都合なことを免れるための仕事をしている。そのギャップや違和感を感じながらも見ぬ振りして仕事をしている。それに比べて、汚れのない赤ちゃんを前に、不甲斐ない気持ちになって流した涙だ(と思う)。それに対して、妻は出産に立ち合えなかったことなら気にしないで、と声をかける。それでも涙を流して謝り続ける杉原を抱きしめて、大丈夫だよ、大丈夫だよ、と声をかける。

二つ目のシーンは、女性記者の吉岡が、自殺した神崎の家を訪ねた時のこと。真実を探りにきたことを知った神崎の妻は吉岡を家にあげ話をして聞く。そして、真相を暴く証拠は、神崎の書斎にある鍵のかかった机にあるのでは、と思い、吉岡に鍵を渡す。

その時に、きっと家族には知られたくないだろうから、といって鍵を渡した神崎の妻はそそくさと部屋を出てしまうのだ。

この二つのシーンに込められているのは、日本では妻は夫の仕事とはかけ離れた世界にいるのだということ。

杉原の妻も、きっと泣き続ける杉原に対し、きっと何か仕事であったんだろうと察しはついたに違いない。けどそれ以上詮索することなく、大丈夫だよ、と声をかけ続けた。

神崎の妻も、仕事のこと、気がかりだったものの首を突っ込むことなくここまできたという話しがあった。

それがいいかどうかは別問題だけど、あまり詮索しない、詳しい事は聞かない。だけど信じる。

それが日本人の妻なのかなぁという気がしました。

本編とは全く関係ない上に、その良し悪しを判断するものではないのですが、気づきを得たのでここに記しておきます。

 

この映画について、また誰かと語りたい!

そんなことを思った映画デーなのでした。